
「自分がなぜ生きているのか、人生の意味は何なのか、まずそれを知らなきゃ」。そんな思いで、しばらく立ち止まってしまった経験、きっとありますよね。僕もそうでした。でも最近は、この順番が逆なんじゃないかと思うようになりました。
『進撃の巨人』を観ていて、ふとこんなメモを残しました。タイトルそのまま「進撃」、つまり前へ進むという言葉がずっと心に残ったんです。意味をすべて理解してから動くのではなく、とにかく前へ進む人たちの物語でした。
意味は出発条件ではなく、結果です#
僕たちはたいてい、意味を先に見つけてからでないと動けないと考えます。これが自分の道で合っているか、この仕事が自分にとって何を意味するのかがはっきりしてから、ようやく足を踏み出そうとするんですよね。
でも順番をひっくり返してみると、こうなります。意味は出発条件ではなく、結果かもしれない、と。まず生きて、関係を結び、責任を負い、何かをやり遂げていく過程のなかで、あとから「ああ、これが自分の意味だったんだ」がついてくる構造なんです。
だから存在を意味より前に置くというのは、こんな態度に近いんです。
- 完璧な意味が見つかるまで立ち止まっているより
- 不完全でも、今を生きて試してみることを選ぶ
意味を見つけようとして何もしなければ、かえって意味は見つけにくくなります。生きてこそ意味が生まれ、動いてこそ理由が見えてくるからです。
愛も同じように動きます#
この話は、愛においても同じように繰り返されます。エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読むと、成熟した愛は感情の強さから来るものではないといいます。
僕たちはよく、愛を感情だと考えますよね。心臓が高鳴り、ときめき、相手にすべての心が傾いていく、あの強烈さが愛の大きさだと。でもその強さは、時間が経てば薄れていくものです。
成熟した愛は、繰り返される選択から作られます。尊重し、責任を持ち、思いやり、忍耐する。その態度を毎日また選び直すんです。だから愛は、自然と与えられる感情ではなく、訓練された態度に近いんです。
まとめると#
メモを残したあと、僕のなかに残った文章が三つあります。
- 意味は発見物ではなく、実行の副産物かもしれません。
- 生きてこそ意味が生まれ、動いてこそ理由が見えます。
- 愛は感情ではなく、訓練された態度です。
三つとも、結局は同じことを言っています。完璧な答えを手にしてから生きようとすると、その答えはなかなか来ません。逆に不完全なまま一歩を踏み出せば、生きていく過程そのものが答えを連れてきてくれます。
だから今、意味がぼんやりしているからといって、立ち止まっている必要はありません。今日できることを一つやってみることが、意味を見つける一番の近道なのかもしれません。
Life can only be understood backwards; but it must be lived forwards.
— Søren Kierkegaard


